この記事は、高校野球の勝利至上主義ではなく、野球というスポーツを楽しむために、そのような環境を作っていくことが大切だということを説明していきます。
現在、部活動の一環でもあるにもかかわらず、厳しく辛い練習のため、野球部を辞めてしまう人が一定数います。
そのような勝利至上主義による弊害を、説明していきます。
勝つためだけの弊害
勝負には勝ち負けがありますよね。
勝つこともあれば負けることもあります。
負けるたびに叱責を受けるチーム、組織はありますよね。
そもそも怒られて嬉しい人はいないです。
また、県大会で優勝するとしても、県で80校あったとしたら、80分の1です。神奈川や埼玉ですと200校近くありますので、もっと確率が低くなります。
甲子園で優勝するとしたら、全国4,000分の1の確率です。
ほとんど敗者になるものです。
負けて厳しい指導となってしまうと、勝利至上主義=忍耐、苦行みたいになっています。
部員がやめてしまう人が多くなる
せっかく入部をしても、勝利至上主義のなかで、レギュラーやベンチ外の選手の扱いがいい加減な部は、辞めていく人はどんどん多くなります。
私の経験でも、実際に最後にいた上級生である3年生の部員の数は、10人でした。
辞めてしまうと、将来に傷がつきますし、劣等感も残るでしょう。
中には立ち直ることが大変な人もいるかもしれません。
試合に出場できない人はつまらない
野球は試合に出場できないと、なかなか日々の野球部での活動がつらいものとなります。
試合に出場できなくても、充実しているというのは、自分自身に言い聞かせているだけです。
勝利至上主義ですと、野球の能力が劣っていると、3年間試合に出場することができないことが、ザラにあります。
ベンチ入りを狙ったとしても、そう言った組織ですと、ベンチに入れるような同じ実力ですと、下級生をベンチ入りさせます。
なかなか試練の3年間になってしまいます。
我慢強くなるかもはしれませんが。
社会勉強と割り切ってプレー出来る人は少ない
大人になると、競争社会なので、そういった勝利至上主義を経験しておくと、将来とても役に立ちます。
しかし、高校生の時点でそこまで意識してとりくむことができるかは疑問です。
いくら指導者レベルが伝えたとしても、その時点では我慢を強いることになるからです。
高校生の部活動では、楽しんで取り組むことができないと、もったいないですよね。
チームプレーではモチベーションと能力の向上にならない
チームプレーとは、言いかえると自己犠牲です。
試合に出場する選手からすれば、自己犠牲はやっても構わないでしょう。
それは、自己犠牲という役割を、主体的にでき、それが評価されるからです。
例えば送りバントなどがそうです。
送りバントを成功した人も評価されていますよね。
しかし、試合に出場できず、雑用や応援係の人が評価されることはなかなか難しいです。
それをチームプレーというのであれば、こんなにつまらないものはないでしょう。
そういった経験は、大人になってからで十分だと思います。
全員が主役の方が楽しい
野球は、プレーをして楽しむものです。
勝利至上主義のもと、雑用などの役割に意味を求めることはナンセンスなのです。
勝ち負けよりも、全員が出場でき、そこから勝ち負けを求める方が健全でしょう。
それが本当の今での全員が主役だと思います。
勝利至上主義をやめ野球を楽しくしていきましょう
勝利至上主義、そろそろやめましょう。
そういった組織に入部することをやめ、かつ個人個人や、指導者レベルがそういったことを意識からかえていくべきでしょう。
全員が試合に出場できる仕組みを作っていければいいですよね。
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