【高校野球】夏の甲子園大会で最も印象に残っている乱打戦の試合を覚えていますでしょうか?!

野球

この記事は近年で1番といってもいい甲子園での乱打戦について紹介および考察をしていきます。

1-0の投手戦の試合も緊張感があり見ていて面白いですよね。

逆に乱打戦で、点を取られたら取り返す試合を見ていることも面白いですよね。

今回は、両チーム合わせて25点を取りながら、1点差の試合となった伝説の試合を紹介していきます。

2006年夏 帝京VS智辯和歌山 ※12対13

※卓球の試合ではありません

スコア

チーム123456789RH
帝京0002000281216
智弁和歌山030300205x1313

出場選手

帝京
打順守備選手
1[右]不破卓哉(3年)
2[中]投中勝見亮祐(3年)
3[三]遊三野口直哉(3年)
4[一]中村晃(2年)
5[左]塩澤佑太(3年)
6[二]雨森達哉(3年)
7[捕]我妻壮太(3年)
8[遊]投遊杉谷拳士(1年)
9[投]高島祥平(1年)
垣ヶ原達也(2年)
大田阿斗里(2年)
打中沼田隼(3年)
矢島健吾(3年)
岡野裕也(3年)
智弁和歌山
打順守備選手
1[中]古宮克人(3年)
2[二]上羽清継(3年)
3[投]一廣井亮介(3年)
4[捕]橋本良平(3年)
5[三]亀田健人(3年)
6[右]松隈利道(3年)
7[一]左馬場一平(3年)
8[左]撫養尚希(3年)
竹中孝昇(3年)
松本利樹(2年)
青石裕斗(3年)
9[遊]楠本諒(2年)

序盤〜中盤

スーパー1年生が先発

帝京の先発投手は、当時1年生であった髙島祥平選手が登板します。

後に中日ドラゴンズへドラフト4位で入団しました。

当時から140キロを超える速球を投げていたので、スーパー1年生と呼ばれていました。

もともと帝京高校は、有力な1年生を起用することが多いので、納得の起用法ではありますね。

3ランホームランを打たれる

初回は0点に抑えた高島投手ですが、2回に智辨和歌山の7番打者である馬場一平選手に、3ランホームランを打たれました。

馬場一平は、卒業後に三菱自動車岡崎でプレーしていました。

8番ショート 杉谷拳士

今では日本ハムファイターズの成績を度外視した、チームの顔である杉谷選手。

当時は1年生ながらスタメン出場をしていました。

この試合では、4回にツーベースを打ったりと、大活躍していました。

投手として登板もしていますが、詳細は後ほど詳しく記載します。

終盤

8回終わって8-4で智辨和歌山のリード

智辨和歌山が4点リードのまま、帝京の9回の攻撃に移ります。

先頭の代打に、3年生の沼田選手を起用します。

客観的にみると、少しは3年生の最後の思い出作りの面もありますよね。

沼田選手はアウトになりますが、そこから連打連打で1点差となり、杉谷選手の2点タイムリーで逆転します。

再び沼田選手に打席が回り、とどめの3ランホームランを放ち、8得点で4点差となり、9回裏を迎えるのです。

9回裏にドラマがあり

4点差で12-8と帝京リードの中、マウンドにはセンターの勝見選手が登板します。

夏の大会では、大田選手、垣ヶ原選手、高島選手の3選手のみの登板でしたが、勝見投手は投手経験が豊富で、以前の秋の大会ではエースナンバーを背負っている投手です。

実際にテレビで見ていましたが、140キロ以上の速球を投げいいボールを投げていました。

しかし、この甲子園での最終回かつ夏の大会で投げていない状況ということもあり、ストライクが入りません。

先頭にフォアボールをだし、またフォアボールをだし、その後4番の橋本選手に3ランホームランを献上し、あっという間に1点差となります。

次の打者にもフォアボールをだしたところで、ピッチャー交代となります。

杉谷選手が登板しました。度胸を買われての登板とのことです。

しかし、デッドボールを当ててしまったことで、すぐに他の投手へと交代となりました。

岡野投手へと交代します。そこからは、フォアボールやヒットを交え、最終的にサヨナラ押し出しとして幕を閉じました。

なぜここまでの乱打戦になってしまったのか

9回表に8点を取った後に、9回裏に5点をとってサヨナラゲームとなるなんてことは、考えられないことですよね。

違う球技のスコアみたいですね。

なぜこのようなことが生まれたのか考えていきます。

帝京に投手が残っていなかった

最後は、背番号16番の岡野投手が投げていましたが、チームのバッティングピッチャーだったそうです。

大田選手、垣ヶ原選手、高島選手は投手としてメンバー入りをしていましたが、他にもレフトの塩澤選手、センターの勝見選手、ファーストの中村晃選手は他の大会で投手として登板しています。

私の経験ですが、中村晃選手とは、同年代なので投手として、中学高校と試合をしたことがあります。

左投げなので、130キロ台の真っ直ぐと、スライダーを投げていたので投手としても高校生レベルでは通用していました。

9回に中村晃選手が登板していれば違う展開になっていたかもしれませんね。

プロ注目の打者が何人もいた

最後にまとめていますが、プロ野球選手になった選手以外にも、力のある打者が多くいました。

例えば帝京高校の勝見選手や、智辨和歌山の松隈選手は、一時期4番を打つほどの打力の持ち主です。

両チーム共に、1番から9番までホームランを打てるチームはなかなかありません。

その条件も重なり、乱打戦になったのでしょう。

準々決勝で投手起用が難しかった

帝京高校は基本的には投手起用に感して、大田投手と、垣ヶ原投手の二枚看板でした。

準々決勝になると、決勝までの4日間で3試合を行わなければならず、そのような日程により、投手起用を難しくしたことはあるでしょう。

まとめ

この試合に出場していて、プロ野球選手になった選手がこちらです。

  • 橋本良平  阪神     高校生ドラフト3位
  • 中村晃   ソフトバンク 高校生ドラフト3位
  • 大田阿斗里 横浜DeNA 高校生ドラフト3位
  • 杉谷拳士  日本ハム   6位
  • 高島祥平  中日     4位

5人もプロ野球選手が誕生し、かつ全員高校卒業即プロ入りでしたので、この試合は逸材だらけだったということがわかりますね。

個人的には、1998年の横浜 VS PL学園並みの面白い試合だと思っています。

10年に1度くらいの奇跡的な試合を、また見れるといいなと思います。

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