【高校野球】元プロ野球選手であり、現在高校野球の監督をしている人を5人紹介します【元プロ】

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この記事は、元プロ野球選手でありながら、退団後に高校野球の監督をしている人を5人紹介します。

芝草宇宙

東京都 帝京高校 1987年ドラフト6位 日本ハムファイターズ

帝京高校のエースとして活躍し、甲子園に出場した際には、ノーヒットノーランも記録しています。

甲子園での活躍が目に留まり、その後は日本ハムファイターズに入団します。

その後は先発、中継ぎ投手として長く活躍した後、ソフトバンクホークス、台湾球団を経て引退しています。

現在は新潟県にある、帝京長岡高校の監督として指導しています。

甲子園には2022年現在未出場ながら、2022年夏の新潟県大会では準優勝を果たすなど、出場まであと一歩のところにきています。

島田直也

茨城県 常総学院高校 1987年ドラフト外 日本ハムファイターズ

現役時代に常総学院のエースとして甲子園出場を果たしています。芝草宇宙選手とは同期入団となります。

その後は横浜・ヤクルト・近鉄に在籍し、長きにわたり主に中継ぎ投手として活躍しました。

その後は横浜の投手コーチを経て、母校である常総学院の監督に就任しています。

甲子園にも出場しているので、現役時代と、監督時代の両方での出場を果たしました。

大越基

宮城県 仙台育英高校 早稲田大中退 1992年ドラフト1位 ダイエー

2022年の夏の大会で仙台育英高校は優勝し、白河の関を始めて越え、重い扉を開きました。

その前に、仙台育英高校のエースであった大越基選手は、準優勝を果たしています。

大学では早稲田大学に進学しましたが、悪しき伝統になじめず退学し、その後はマイナーリーグを経てドラフト1位でダイエーに入団しました。

投手として入団し、目立った活躍はできずに、その後野手となり、主に代走や守備固めとして活躍をしました。

身体能力が高かったので、初代二刀流になれる可能性もあったでしょう。

現在は山口県にある、早鞆高校の監督として1度甲子園に出場しています。

若林弘泰

神奈川県 東海大相模高校 東海大学 日立製作所 1991年ドラフト4位 中日

今でこそ東京都にある、東海大菅生高校の監督として、何度も甲子園に出場を果たしている名監督のイメージが強いですが、現役時代は投手として社会人野球まで進み、ドラフト4位で中日に入団しています。

しかし、長きにわたるアマチュアでのキャリアのせいなのか、ケガなどによりプロ野球選手としては目立った活躍をすることができませんでした。

東海大菅生高校の監督となって、一度も甲子園に出場したことのない学校でしたが、一から鍛え上げ、名門校へとなっています。

中谷仁

和歌山県 智辯和歌山高校 1997年 ドラフト1位 阪神

現役時代は捕手として夏の甲子園で優勝し、その後監督としても2021年夏の大会で優勝するなど、その部分を見ると最高の経歴の持ち主です。

ですが、プロ野球選手としては大成することはできませんでした。

事故で左目に大ケガを負ってしまったことや、打撃力の低さによりなかなか出場機会に恵まれず、捕手という間柄現役生活は長かったのですが、活躍機会が少なかったです。

現役時代は、阪神、楽天、巨人に在籍しています。

現在は高校野球の監督として、早くも日本を代表する監督となりつつありますので、今後の学校、監督の活躍が楽しみですね。

元プロ野球選手が監督になる人が増加傾向です。野球人口増加に期待したいですね

元プロ野球選手の監督が増加してきました。元プロ野球選手とすると、セカンドキャリアとして野球に携わることができるので、最適な進路ではないでしょうか。

高校球児のレベルも上昇しますし、ウィンウィンな関係になりますので、そういった監督がどんどん増えていくといいですね。

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